柳町君と京子先生と一緒にあきらさんの漫画的自己紹介!!ウィキペディアか!!
はじめまして!!
そしてあらためまして、あきらさんです!!
2021/2/25 追記
この記事は初期に書いた自己紹介記事ですが、漫画的に上手くできていると思ったので残している記事です😌
最新の自己紹介記事はこちらになりますので、良かったらご覧ください。
あきらさんの自己紹介記事(通常Vr)
前回の自己紹介ブログを公開してから半年以上が経ちましたが、この半年であきらさんの環境がかなり変わったので、今回はこの自己紹介ブログをアップデート致します!!
2020/4/30 更新
そもそもこのブログを読んでいない人には、『あきらさんって何者!?』と思っていると思うので、Web小説やtwitterをご覧の方々にも、改めて自己紹介をしようと思います!!(基本的にはキャラ渋滞です😅)
ちなみにこの後に紹介する項目は、かなり内容が濃くなっていますので、あまり私に興味のない方は『プロフィール』と『まとめ』だけ読んでくださいね(本当に長くなっています……😅)
【目次】
まずは、簡単なプロフィールから
『プロフィール』
名前
・あきらさん
(SNS上では『あきらさん@笑いながら稼ぐギャグブロガー』と名乗っています)
生年月日・住まい
・1978年3月29日生まれ(牡羊座のA型。既婚)
・埼玉県川口市
仕事
・ネットビジネス+介護施設の調理
※ネットビジネスは、情報発信、ブログ運営、YouTube漫画のシナリオライター、イラストアイコン作成、note販売など(2020年4月現在)
※介護施設の調理はライスワークなので、いずれは情報発信と執筆関係の仕事に絞ります👍
モットー
・自分がされて嫌な事は人には絶対しない
・『今』と『自分』を大事に生きる
・死ぬまで成長し続ける
・笑いと自己啓発を明るく発信する
・引きこもりのような『生きにくさで苦しんでる人達』に、自分の経験を活かしたアドバイスを発信していく😄
趣味・好きなもの
①お笑い系
ダウンタウン、とんねるず、ナインティナイン、ヒカル(YouTuber)、ラファエル(YouTuber)、M-1、アメトーークなど🤣
②漫画、アニメ、ラノベ
NARUTO、ワンパンマン、ジョジョ、ハンター×ハンター、マテリアル・パズル、スラムダンク、ろくでなしBLUES、エロ漫画先生、この素晴らしい世界に祝福を、うすた京介作品、ハロルド作石、西森博之作品など他にもいっぱいあります!
③歌う事
よく歌うアーティスト➡︎EXILE、三代目JSB、BIGBANG、コブクロ、B’z、UVERworld、GLAY、他アニソンなど。B’zは原曲キーで歌えるぞ!
④書く事
ブログ、Web小説、漫画のシナリオ、Twitter、noteなど。
文章を書くのは、めっちゃ好き!😆
⑤自己啓発
読んだ本は100冊以上。
斎藤一人さんや稲盛和夫さん、そしてD・カーネギーさんなど王道の本から、流行りのビジネス書までいろいろ読んでいます。
YouTubeでは、鴨頭嘉人さんや津田紘彰さんなどもよく聴いています。
⑥カレー、納豆、玉子料理
カレーと納豆は毎日でも食べられる!そして玉子は絶対入れたい派!
⑦猫(猫娘のひなた。腎臓病で2019年の9月に11歳で亡くなりました😭それでも毎日可愛い😊)
「にゃ~ん」
特技
・SNSを使った自動収益化😉👍
・人にわかりやすく教える事
・文章やイラストを使って笑いを表現する事
・コツコツやる事(2019年に1年間で−12㎏のダイエットにも成功!)
・歌(カラオケでは大体90点台!)
SNS上の活動
Web小説
小説投稿サイト『小説家になろう』
「B級能力者相談所~だから電気代を払う前に家賃を払いなさいって言ったでしょ!!~」(15000PVの処女作)
https://ncode.syosetu.com/n4120eo/
※あきらさんのシナリオ提供により『B級能力者相談所』がYouTube漫画になりました!
ココナラ
①お笑い系のネタやYouTube漫画のシナリオ作成
②イラストアイコン作成(※ただいまお休み中)
https://profile.coconala.com/users/1617341
YouTube漫画(シナリオ提供作品)
【ザビエルのネタ帳】
【ヒマガク】
note
【性格】
・常に笑っていたいと思っている🤣
・良いと思った事はどんどん実践して発信する
・真面目すぎて手を抜くのが下手
・大人数でワイワイするのも下手
・器用貧乏でキャラ渋滞
・基本的には温厚(斎藤一人さんのYouTubeを聴くようになってから、さらに温厚になりました😊)
・ボケようとするとブラックな一面が出てしまう時がある😅
・人間的に無理だと思った人とは、絶対関われない(だから転職が多い😓)
・おそらくHSP
・記憶力は悪いけど慣れるのは早い方
・体力が無くて疲れやすいけど、少し寝るとすぐ元気になる
【目標】
『引きこもりからでも、個人で稼ぐ力を身につけて生き抜く方法』を発信し続け、リアルの仕事に生きにくさを感じている人達の力になる!
将来はギャグ小説を書きまくって、執筆関係で生活していく!!
【夢】
情報発信をしながら、ギャグ小説を書きまくる生活を手に入れる!!
そしてギャグ小説で有名になり、書籍化、コミカライズ化、アニメ化する!!
アニメ化したら主題歌も歌う!!
【生きる指針】
SNSを通じて自分の経験や考えを人に伝え、笑いを通じた自己啓発で、引きこもりなどで苦しんでいる人達が少しでも笑顔になれるような活動をしていく!!
私のブログは
・元引きこもり(現引きこもり)
・コミュ症
・自分に自信がない
・小説家(ラノベ作家)を目指しているが、リアルの仕事と上手く兼ね合いが出来ていない
・本業一本での生活に不安を感じている
・生きる事に悩んでいる
・ツッコミ芸人
といったような人達に読んでもらえると嬉しいと思っています😉
文章を書く事で人生が変わった私は、自己啓発と笑いから学んだ事を発信しながら、個人でも稼ぐ方法をお伝えしていきたいと思っていますので、楽しみながら読んでください👍
以上が異常なあきらさんの簡単なプロフィールですが、私の濃厚な生い立ちについても紹介したいと思いますので、笑いながらご覧ください😆✨
……が、その前に!
『あきらさんブログ』の基本スタイルとなっている、漫画的な表現には欠かせないこのお2人を先にご紹介しますね!!
あきらさんのブログを一緒に盛り上げてくれるお仲間です!!😄
私は『小説家になろう』というWeb投稿サイトで、15000PVを超えるギャグ小説『B級能力者相談所〜だから電気代を払う前に家賃を払いなさいって言ったでしょ!!〜』というものを書いているのですが、彼らはそこに登場するキャラクター達です。
『B級能力者相談所~だから電気代を払う前に家賃を払いなさいって言ったでしょ!!~』
⇩『小説家になろう』リンク先
https://ncode.syosetu.com/n4120eo/
⇩主人公でつっこみ担当の柳町 新右衛門(やなぎまち しんえもん)君
「よろしくお願いします」
⇩主人公以上の主人公ヒロイン ドSボケ担当の柊 京子(ひいらぎ きょうこ)先生
「よろしくね」
それでは早速、休憩に入ります。
「いや!まだ何も始まってないから!!」
……とまぁ、こんな感じで進めて行きますので、楽しんでお読みください😁
『あきらさんの生い立ちと黒歴史の幕開け』
それではまず、あきらさんの生い立ちから。
私はこれを書いている2020年現在は42歳ですが、埼玉県のとある場所で28歳まで実家暮らしをしていました。
幼少期の家庭環境は、両親と母方の両親(爺ちゃん婆ちゃん)と、2歳上の姉と私の6人家族です。
いわゆるサザエさんでいう所のマスオさん家庭で、父親が母親の両親の面倒を見るという特殊な家族構成でした。
うちの父親はどうやら若い頃からヤンチャしていたらしく、19歳の時にできちゃった婚をしたみたいですね。
「やるわね、ダメ親父」
「京子先生!あきらさんのお父さんに、ダメ親父とか言わないでください!!」
そして我が家は、ダメ父親と婆ちゃんの仲がかなり悪い。
「自分で言うんかい!!フォローのし甲斐がない!!」
どちらかというと婆ちゃんが父親を嫌っていたようですが、婆ちゃんからしたら、娘(私の母親)を孕まされたという気持ちが強かったのかも知れませんな~😔
そして私が小学生になるくらいの時に、私の母親の弟が離婚し、その弟は自分が引き取った息子を「育てられないから」という理由で、我が家に突然預けました。
そして「養育費も払えない」と言われて全てうちで負担する事になり、無理矢理我が家で一緒に暮らす事になるのです。
「こ……この時点で、既に複雑な環境になってますね」
そして私が小学4年生くらいの時に、その従兄弟(私の母親の弟の息子)は再婚した親元(私の母親の弟の所)に1度戻っているのですが、この辺りから父親と婆ちゃんの仲が目に見えて悪くなっていきました。
この時期に私は『家族内にまともに会話出来る人がいない』『信頼出来る人間がいない』という事を感じ始め、『人の面子を気にしない』『空気が読めない』という家族に対し、「もしかしたら、精神年齢では私が家族内で一番上になってしまったのではないか?」という事を悟り出します。
「まだ小4よね……早くないかしら?」
毛が生えたのも、このくらいだったような……
「それも早い!!」
私の父親としては、自分に八つ当たりしてくる婆ちゃんに対して「お前の息子は自分の子供の面倒も見れないのか!」という気持ちが強かったのでしょうね。
そして私が中学1年生の時に、父親の味方だった母方の爺ちゃんが亡くなってしまい、それからは更に父親と婆ちゃんの仲は悪くなり、父親は酒に呑まれて荒れに荒れまくります。
「近くのラーメン屋では、出禁になるくらい荒れてたらしいじゃない」
京子先生、良く知ってますね……😅
この辺りから家族全員が自己中心的で自分の事しか考えられなくなり、思春期の私は家庭内が殺伐とし出すのを感じ始めて、「自分には味方がいない」と思い込むようになるのです。
そして私は中学2年生の時に持病の喘息が悪化して、学校を休みがちになってしまいました。
今考えれば殺伐とした空気を毎日感じ、過剰なストレスを受け続ける家庭環境の中で心身共にかなりの負担が掛かっていたのだと思います😓
『掃除をしない、片付けられない、口が悪い、会話が成り立たない』など、感受性の強い思春期の私には、自分で自覚している以上に家族から見えないプレッシャーを感じていたようで、体調がどんどん悪くなってしまいます。
喘息が悪化したのも、ほとんどそれが原因だと思いますね。(ちなみに後に実家を出た後は、喘息はほぼ出なくなりました)
そして悪い事は重なり、この時期に引きこもりのきっかけが訪れるのです。
『心の氷河期、引きこもり時代』
引きこもりとなる細かい理由は色々あるのですが、一番大きな理由は中学2年生の秋に行われた体育祭と部活の秋季大会の出来事でした。
当時、運動神経の良かった私は、クラスで2番目に足が早く(微妙〜)、体育祭のリレーでアンカーにバトンを渡すという大役を任されたのに、体育祭の当日に喘息で休んでしまう事になったのです。
クラス一丸となって練習に取り組み、この種目では学年トップになれるんではないかと盛り上がっている最中、足を引っ張る行為をしてしまった事に対して、私はもの凄い後ろめたさと罪悪感を感じてしまったのです。
「そんなに、背負い込む事ないのに……」
卓球部の部活でも秋季大会のレギュラーメンバーに主力として選ばれていたのに、喘息で休む事になってしまったので、責任感の強かった私は皆に迷惑を掛けてしまった事で、どんな顔をして学校に行けば良いか分からなくなってしまったのです。
「あらあら……強すぎた責任感が裏目に出ちゃった訳ね」
今思えば大した問題ではないのですが、当時の私は精神的に不安定だった事もあり、過剰なくらい人目を気にしていました。
普段の部活でも、喘息でしんどい事を顧問に伝えていましたが、なかなか理解されずに顧問の先生とも関係性がうまくいっていませんでしたので、ここではそれも学校に行き辛い理由になっています。
そして徐々に学校に行きにくくなってしまい、遂には完全に登校拒否になってしまったのです……😭
「僕もイジメられてたから、学校に行きたくない気持ち分かるわ〜」
この時は『家庭にまともに話せる人がいない』というのが、とてつもなくしんどい時期でした。
半分以上、何を言っているか分からない家族の会話を、毎日のように聞かされて育ったあげく、信頼関係のない家族の中でずっと殺伐とした変なプレッシャーをかけられてきたせいもあり、自分の中では解決策がなく「ただただどうして良いか分からない」というパニック状態が続いていました。
学校に行きたいという気持ちがありながらも、皆に合わせる顔がないと思っていた当時の私は、押す事も引く事も出来ずに、自分の殻に閉じこもる事しか出来なかったのです。
酒乱の父親と、会話が成り立たない母親とは、話をしたくないという気持ちで一杯でしたし
「この先の人生はどうなってしまうのか」
「どうやって生きていけば良いのか」
「高校からやり直す事が出来るのか」
など、不安や恐怖心を抱えながら毎日泣きながら時を過ごしていました。
そして気付けば1年が経ち……
2年が経ち……
3年が経ちました……
中学3年生や高校1年生の学年になる時期には、私自身はまだ高校に行く気があったのですが、親はその時期、私を高校に行かせようという気があまり無かったのか、高校に行かせようと言い出したのは私が17歳の頃でした。
同級生の子達が高校を卒業する年です。
この時の私は既に高校に行く意思はなく「何故今なんだ!?何故中学を卒業する年にこの話をしてくれなかったんだ!?」と、両親を敵視して更に恨むようになっていました。
そしてこの時期にまた、従兄弟が我が家に戻って来ます。
家族の事を悪く言うつもりはありませんが、自分の息子が引きこもっているのにまともに向き合わず、それどころか従兄弟まで面倒を見ようとする感覚が当時の私には分かりませんでした。
後から聞いたら、母親は従兄弟を私の話し相手にしたかったようです。
残念ながらお互い仲が悪かったんですけど……
「母親は何も見えてなかったのね……」
母親なりに私と向き合っているつもりだったらしいですが、母親もどうして良いか分からなかったのでしょうね。
私が「普通だったらこうするだろ!」と思う事が、母親にとっては頭の片隅にもない考え方だったので、当時の私は既に親を親と思っていなかったですね。
「反抗期のエネルギーが、内側に向いてしまった悪い例かも知れませんね」
今はとりあえず和解して恨みとかは持っていないですけど、両親にもいろいろと事情があったようですし😌
この頃の私は全ての事が嫌になり、自暴自棄になってしまい「死にたい!早く死にたい!」と思いながら、毎日のように泣いていました。
「いや〜!!」
テレビを見ては、泣きながら寝て
漫画を読んでは、泣きながら寝て
冷蔵庫の食べ物を漁っては、泣きながら寝るという現実逃避の毎日……
未来を失った私は自殺も考えましたが、何故か私は「親より先に死ぬのは一番の親不孝」という言葉が頭から離れず、自殺だけはどうしても出来ませんでした。
前にも後ろにも行けないと思った私は「暴飲暴食をして、病気になって早く死のう」などと馬鹿な事すら考えていました。
「柳町君の次に馬鹿ね」
「僕が上!? それもヒドイ!!」
傍から見たらしょーもない理由かも知れませんが、7年間ほぼ毎日のように泣いていた私は、この時誰よりも涙を流したと思っています。
1年や2年ではなく、7年……
オリンピックやワールドカップも2回くらいテレビで見たでしょうか……
とにかく生きているという事自体が嫌で、毎日が地獄のようでした……
簡単に書いていますが、細かい問題は他にも沢山あり、ここでは書き尽くせないほどの苦しみです。
今になって分かる事ですが、人は『もう選択肢がない』と思った時に自殺を考えるようですね。
「八方塞がりじゃどうしょもないですもんね」
「本当は選択肢なんていくらでもあるのに、親も本人もどうしたら良いか分からなくなっちゃうらしいわね」
精神的にも不安定になっているから、余計にまともな考えが出て来ないんでしょうね。
しかしそんな私にとって唯一の救いだったのが、1人の友人でした。
小学校3年生からの親友でしたが地区の区分の関係で中学では別々になってしまい、あまり会えなくなってしまったのですが、私が登校拒否になった後もその友人は、私に深い理由を聞く事もなく、たまに遊んでくれました。
ゲームをしたり、漫画を読んだり、バラエティー番組を一緒に見たり……
買い物にも誘ってくれたり、年末年始だけのバイトに一緒に参加したりして、何とか私を外の世界に連れて行こうとしてくれていたのです。
「泣ける〜」
母親同士が繋がっていたので、私の事を気に掛けてくれていたんですね。
本当に今では感謝しかありません。
ありがとう~!!
『引きこもりから外の世界へ』
7年後…………そして伝説へ
「ドラクエⅢ世代!?」
今考えても不思議なんですが、引きこもりから抜け出すきっかけになったのが、20歳の時にその友人から借りた1冊の本でした。
松本人志の『遺書』
今では何が書かれていて、何に影響を受けたのかあまり覚えていないのですが、この本を読んだ時に「このまま死んではいけない!何かやらなければいけない!」という気持ちになったのを凄く覚えています。
何か、自分の持っている常識のタガが外れたというか、心が震えたような感覚に陥り、自分が凄く狭い世界で悩んでいるような気分になったのです。
世界は、私が気にするほど私の事を気にしていないですし、私と同じような境遇でも立派に生きている人が沢山いる事を知りました。
そして『選択肢』が沢山ある事も。
しかし、7年間ほぼ人と関わっていない私。(既に対人恐怖症)
高校も行ってない所か、中学にすら半分しか行っていない私。(実質小卒)
そんな私に一体何が出来るのか……
「あやとり?」
「そういうの、今いらないです!!のび太君じゃないんだから!!」
京子先生、和むわ~……😅
こ……この時点での私は、コミュ力も学歴も無いので普通に仕事をして生きて行く事は無理だと思っていました。
「どうやったら生きていけるのだろう……?」
「私は何が出来るのだろう……?」
などと、一晩中寝ないで考えました。
「寝た方が良いわよ」
「だから京子先生!そういうの、今いらないですから!!確かにイチロー選手も『大事な事を決断する時は、寝ないと駄目でしょ!』って言ってたけど!!」
……え~……ふ……普通の人のように生きれなかった事で、普通の人と同じ事は出来ないと悟った私は……😅
「私は何が人より長けているのだろう?」
「どこで勝負したら、世間の人達に対抗出来るのだろう?」
「これだけは負けないと思うものは何だろう?」
「これが好きだと思うものは何だろう?」
「これだったらやれると思うものは何だろう?」
などといろいろ考えた結果、最終的に出てきたのは何故か……
『笑いのセンスで飯を食って行く』という事。
「凄い結論ですね……」
当時はダウンタウンを中心にかなりのバラエティーを観ていましたが、その時の私はバラエティー番組を観ながら、笑いで活躍している人達のボケ方を知らず知らずの内に分析している自分がいたのです。
そして自分からもボケるようになってきたりしていたのですが、その友人も私の笑いのセンスだけは凄く認めてくれていました。
お笑い芸人の道も一度は考えたのですが、当時コミュ症の私がなれると思う訳もなく、自分が好きな『漫画』と『お笑い』をくっつけて「ギャグ漫画というジャンルはどうだろう?」などという所に行き着きます。
「なるほど!」
そして「今のギャグ漫画界の頂点はなんだろう?」と思いながら色々調べてみたら、当時のギャグ漫画を席巻していたのが「すごいよマサルさん〜セクシーコマンドー外伝〜」のうすた京介先生、「今日から俺は」の西森博之先生、「ゴリラーマン」のハロルド作石先生、「おやつ」のおおひなたごう先生といった面々でした。(この辺は自己評価ですが)
正直、この先生達を追い抜く事は難しいと思いましたが、当時の私は「絵さえ描ければ、肩を並べる事は出来るかも知れない!」と思っていました。
「どこからそんな自信が出てくるんだ、あきらさん……」
そう……絵さえ描ければ……
今考えれば、それこそが甘かったのですが「10年勉強したら絵も描けるようになるだろう」と当時は思っていました。
これがほとんど絵を描いた事のない20歳の時です。
あまりにも世間知らずだったので許して……
「許しません」
…………😭
『無謀なチャレンジ!?あきらさん、ギャグ漫画家への挑戦』
そ……そして私は漫画や絵の勉強をしたいと思い、アニメ番組のCMで流れていた代々木アニメーション学院(通称、代アニ)の存在を知ります。
私は無料で請求出来る学校案内をすぐに取り寄せて、内容を確認した後にここの大宮校に入学しようと決めるのです。
今振り返ると、この辺りの行動力は自分でも凄いなぁと思いますね😅
そして決心した私は、数年まともに会話をしていなかった母親と婆ちゃんに土下座をして代アニに行かせて欲しいと頼んだのです。
「凄い!!ずっと部屋にこもりっきりだったのに、良く出て来れましたね!!」
私は42年生きていますが、この時が人生で一番勇気を振り絞った時だと思います。
婆ちゃんは「やりたい事をやれ」と言ってくれましたが、母親は普通に「学校に行かせる金が無い」と言いました。
「うそ〜ん!! 7年間も引きこもってた息子が、やっと自分から外に出て来て、土下座して頼んだのに〜!?」
後々聞いたら、私の従兄弟の学費を出していたせいで、このタイミングでは代アニに行く事は出来なかったのです。
「そうだとしても、そこはもう少し違う言い方があったでしょお母さん……。私でももう少しオブラートに包むわ」
「(京子先生がオブラートなんて言葉を知っていたとは……)」
それでも私はこの道しかないと思っていたので、自分でバイトをして学費を貯めようと思い、約1年間お弁当屋さんで働きました。
「いきなり〜!?」
多分、ここで代アニに行く事を諦めてたら、また引きこもりに戻っていたでしょうね。
「今、やるしかない!!」という想いが強かったので、正直、家族に邪魔されても一人で何とかしてやるという気持ちが強かったです。
代アニに行きたいと頼んだ時も、半分は家族をあてにしていなかったので、「こういう道で生きて行く」という宣言がしたかっただけなのかも知れません。
バイトの方は知り合いに会いたくなかったので、早朝からの時間帯を選び、4時〜12時過ぎまで休憩なしで黙々と働いていました。
確か、時給870円くらいで週6日出てたような……
「やるわね。870円って言ったら柳町君の月給じゃない」
「嘘でしょ!?それじゃ僕、生きて行けませんよ!!」
世間知らずの私は、とにかくガムシャラに働きました。
周りは結構高齢のオバちゃん達だったので、人間関係は気にせずに働く事だけに集中できたのが大きかったですね。
そして午前中に仕事が終わると、帰ってひたすら漫画を描く。
ネタをメモり、思い浮かんだ事を具現化する作業を繰り返します。
しかし全然絵が描けない私……
とにかく最初は顔だけを描いていましたが、下手過ぎて1人のキャラクターの顔を2度同じように描く事が出来ませんでした。
極端な事を言うと……
ビフォー
アフター
「違いすぎるでしょ!!」
「アゴが!!アゴが!!っていうか、ビフォーとアフター逆だから!!下手になってる!!」
「ヤバい……同じキャラが描けなかったら、漫画が成立しない……」と、内心絵を甘く見てた事に気付きましたが、それでも他の道では生きて行けないと思っていたのでやるしかないと思い、大好きだった『ろくでなしブルース』の前田太尊の顔をひたすら模写する事にしました。
当時は「北斗の拳」の画力でギャグ漫画を描いたら絶対ウケると思っていたので、濃い絵を描こうと思い、同じ系統の絵を狙って描いていました。
後に、ろくブルの森田まさのり先生が北斗の拳の原 哲夫先生のアシスタントをやっていた事に気付くのですが……
「へぇ~そうなんですね」
そして、3ヶ月を経った所でようやく同じキャラクターの絵が描けるようになって来たのです。(ここまでは本当に長かった〜)
ここから表情をつけたり、体全体を描いたりいろいろ模索しながら「まずは、1人のキャラクターをいろいろと動かせるようにしよう」という所から頑張りました。
バイトの方は最終的に10ヶ月働き(途中で潰れてしまったので)、約100万円を貯める事に成功しました。
「100万〜!?」
そして22歳の時に代アニの大宮校に通う事になるのです。
片道50分かかる道のりを自転車で毎日通い、2年間漫画や絵の事について勉強しました。
しかし、ただ1つ場違いな事が……
ギャグ漫画家志望が1人もいないのです……
ただでさえ対人恐怖症のようになっている私でしたので、唯一ギャグ漫画志望の私はなかなかクラスの人達と馴染めず、1年間は誰とも喋る事が出来ませんでした。
しかし2年目の文化祭をきっかけにして、やっと皆と喋れるようになったので、普通の学園生活を送る事が出来るようになっていたのです。
この時は人生の中でもかなり楽しかった1年になりましたね。
「やっと普通の生活に戻れたようで良かったじゃない」
「良かったですね!いろいろ頑張りましたもんね!」
ありがとうございます。
同じような悩みを抱え、同じ夢に向かって努力を続ける仲間達……
あれから17年が経ち、卒業後は会わなくなってしまったけど、今頃皆は何をしているのだろう……
「全員、釣り具店を経営していたわ」
「そんな訳ないでしょ!!適当な事言わないで!!」
2年目からは、バイトをしながら代アニに通っていました。
クラスの皆と仲良くなってきたとはいえ、まだまだコミュ症ではありましたが、メンタル的にも少しずつ普通の人のような生活が出来るようになってきたのは、この時からです。
従兄弟も家を出て、我が家が普通の家族構成に戻ってからは少しずつ家族との会話を取り戻し、家族関係も徐々に良くなっていきました。
代アニ卒業後はバイトをしながら描き続け、集英社、講談社、小学館などに持ち込みをしていました。
そして卒業した24歳の年に、週刊少年マガジンに応募した
『第43回ギャグ漫画新人賞』で奨励賞を受賞したのです!!😆
「凄ぇ〜!!マジですか〜!?」
ちなみに、この時の特別審査委員長はGTOでお馴染みの藤沢とおる先生で、授賞式には『RAVE』や『フェアリーテイル』などを描いている真島ヒロ先生もご出席されていました。
その時に頂いた真島先生のサインは、今でも我が家の家宝です。
その後私には担当さんが付き、少しの間、夢の漫画家気分を味わっていました。
しかし実力の無い私は只の勘違い野郎で、プロの厳しさを知った後、デビューも出来ずに3年くらいで挫折してしまうのです。
27歳まではずっと葛藤していたので、深夜のコンビニや飲食店のバイトをしながら描き続けていたのですが、ある日突然、昔のバイト仲間から「これから起業するんだけど、一緒に仕事をしないか?」と、正社員として誘われるのです。
引きこもっていた当時は、もう普通に仕事する事が出来ない人間だと思っていましたが、この時の私は夢を追ってバイトをしている内に自然と仕事が出来るスキルが身に付き、真面目な生活態度が人の信用を生んで、仕事が出来る人間として周りから頼りにされるようになってきていたのです。
もう普通の仕事は出来ないと思っていた昔とは違い、経験によってメンタル的にも自信が付いていたんですね。
この時、ギャグ漫画家の道をキッパリ諦めて普通に仕事をして行こうと決意し、飲食店でのバイトを辞めて就職するのです。
『金太郎じゃないサラリーマン時代』
この時の私は28歳。
飲食店で働いていた時に知り合った今の嫁様とお付き合いをし、指輪やペンダントを作る貴金属加工の仕事に就職しました😌
この時は会社の立ち上げ時期だったので、いろいろと経験しましたね。
普通に指輪の加工作業を一から覚え、時には上野や御徒町まで営業に行ったりもしていました。
同棲する為に家を出たのも、この時期です。
3人しかいない会社だったので、寝る間も惜しんで加工を行っていた時もありました。
初めての事ばかりだったので、最初の頃はガムシャラにやっていたのですが、仕事が慣れ始めたくらいから、私を誘ってくれた社長の態度が徐々に横暴になり始め、我慢出来なくなった私は約1年くらいでこの会社を辞めてしまいます。
ある事情で下請けの会社に迷惑がかかり、私が説明して謝りに行きました。
何度か関わりがあった会社ですが、私としては人間的に許せない事があったので「私は社長のやり方について行けずに辞めます」という事を下請けの会社の社長に伝えると、私のその正義感を買ってくれたようで、ここでも「だったらうちで働かないか?」と誘われます。
断る理由がなかったので素直に受け入れ、加工作業だけに専念する下請け会社で働く事になるのです。
ここでも29歳から約1年半ほどお世話になりました。
この時期に今の嫁様とも結婚をし、結婚指輪も自分で作ったりしましたよ😊
「良いですね〜! 何か羨ましい〜!!」
柳町君の時は、私が作ってあげますよ!
「ありがとうございます、あきらさん!!」
「私、金属アレルギーなのよね……」
「…………」
…………とまあ、この仕事も簡単には行かずに厳しい状況になるのですが、この時は貴金属加工の仕事が人件費の安い中国などに取られてしまい、仕事が無くなってきてしまったのです。
「あらまぁ……」
この仕事だけで食べて行くのが難しくなりそうだったので、飲食店での皿洗いでも良いと思い、某パン食べ放題のレストランでWワークをする事になります。
しかしWワークを始めてすぐの頃に、貴金属加工の仕事がほぼ無くなってしまい、結果的にはリストラされた形になってしまいました。
「ヤバいですね……」
しかし、ここでも思わぬお誘いがありました。
その、某パン食べ放題レストランでアルバイトとして働いていた時にも「うちで社員にならないか?」と、店長やオーナーから誘われるのです。
昔のバイト時代に調理経験はあるものの、コミュ症の私に接客が出来るのか、かなり不安でした。
しかし、貴金属加工時代にやった飛び込み営業の経験や、漫画を持ち込みしていた時の経験が、いつの間にか私の自信となり「接客も何とかやれるかも」と思えたのを今でも覚えています。
そしてこのレストランで2店舗を経験し、店長代理として約3年ほどお世話になりました。
ずっと続けても良いという気持ちがどこかにありましたが、この時の私は独立心が強くなり「いずれ自分の店舗を持ちたい」と思うようになっていたのです。
「自信のつき方が凄いわね」
「そうですね。ちょっと前までは引きこもりだったとは思えない行動力ですよね」
私としては、嫁様との出会いが大きかったと思います😄
実家暮らしをしていた時は、発達障害に近い親に洗脳されていた部分があり『見えない何か』に縛られているようでした。
付き合っている時に嫁様からは良く言われていたのですが、その時はあまり実感が無く、実家を出てからその意味が分かるようになりました。
他の家庭の常識を知る事で、自分の家庭が異常だった事を実感出来たんですね。
「確かにあるわよね、そういう事」
「あります。あります」
まぁそれはいいんですけど、その後の私は独立支援が充実している某カレーチェーン店で3年半くらい働く事になります。
最初は10店舗で店長代行として毎日違うお店で働き、最後の1年くらいは3店舗で店長も経験しました。
そして嬉しい事に、店長代行としていろんな店舗に行く中で、私の人柄を買ってくれたせいか、何処に行ってもパートさん達に「あきらさん、うちで店長やってよ〜」と言われるようになっていたのです。
昔から人を大事にする事は意識していましたが、特に下の人(立場の弱い人)には優しくする事を意識していました😌
パート、アルバイトさんを雑に扱う店長が多い中で、人間的に未熟な人が権力を持つ事の恐ろしさ知った私は、いずれ自分のお店を持った時にはメンタルが重要だと思い、自己啓発本やビジネス書などを沢山読んでいるうちに、いずれは自分も自己啓発本を書いてみたいという夢を持つようになるのです。
独立して自分の店を持てるようなれば、いずれは人を雇い、自分のやりたい事をやる時間が作れると思っていたので、この時から心のどこかでは、人助けになるような事や、クリエイティブな事がやりたいと思っていたのでしょう。
しかしここでは予想以上に労働時間が長く、かなり過酷な職場でした。
ちなみに1日の主な流れはこんな感じ……
7:30 起床
8:30 シャワー浴びて出勤
9:30 入店
(勤務中は休憩が取れない時も……)
25:00 閉店
(閉店後に翌日の仕込み、後片付け、レジ閉め、不足食材の貸し借りなど……)
4:30 閉店作業が終了し、退店(早い時は2:00〜3:30くらいに退店)
5:30 帰宅。食事をして就寝
↓
7:30 起床(2〜3時間の睡眠)
上記をほぼ週6日でやる激務。
朝番やラストメンバーが居る時は、もう2時間くらいは睡眠が取れましたが、これを3年半続けた結果、しんど過ぎてまた転職をします。
独立する為に自分で選んだ道とは言え、正直死ぬって思いましたね(苦笑)
「引きこもってた時は、あんなに死にたい死にたいって言ってたのにね」
「笑えないですよ、京子先生……」
ま……まぁ、私の要領が悪くて閉め作業が遅かったり、翌日の食材が足りなかったら閉店後に借りに行かなくてはいけなかったので、帰宅時間がこんな事になったりしてしまうんですけどね……😓
いずれにしても、ここではかなり良い経験をさせてもらいました。
7年間の引きこもりから脱出できた事と、このカレーチェーン店で過酷な3年半を乗り越えた事は、私にとってかなりの自信に繋がりました。
この経験が「この先何があっても、大抵の事は乗り越えられる」という気持ちになれましたね。
ベーカリーレストランとカレーチェーン店を合わせて7年近くで働いたこの飲食店時代に、店長やリーダー職を経験させてもらったので、良いリーダーになる為にビジネス書や自己啓発本などを100冊弱は読んだ事も、今では自信になっています。
「自己啓発的なメンタルは、この時に作られたものみたいですね」
「そうみたいね」
「それで、その後はどうしたんですか?」
職種に拘りはありませんでしたので、飲食以外で労働時間の短い職場を探していた所、アニメグッズを中心に作っているOEMの会社が目に止まり、そこでお世話になる事になります。
「すみません……OEMて何ですか?」
「OEMっていうのは、メーカーの下請け会社の事よ」
そうです😉
そこでは、バンダイとかKADOKAWAのアニメグッズから、少年ジャンプ系の漫画まで、かなりの種類とグッズを作っていました。
アーティストやスポーツ系のグッズも作っていましたね。
「へ〜」
少し好きな物に囲まれて仕事するのも良いなぁと思い、この会社に入社する事になるのですが、ここで私は、缶バッジを製造する部署で働く事になるのです。
当時は缶バッジやアクリルキーホルダーの事業は、やり始めて2年くらいだったので、ほぼやり方が確立されていなく、皆が試行錯誤しながらシステムを構築して行こうという段階でした。
私の所属する課の中にある缶バッジ作製の部署には、正社員とパートさんを合わせて10人くらい居ました。
私は全て1から学びましたが、課のリーダーが他の課も兼任のリーダーだったので、私自身に肩書きは無いものの、実質リーダー的な役回りをする事になるのです。
『Web小説とSNSとの出会い』
飲食時代に人を使う事を覚えていたので、製造業でも仕事自体を回す事はお手の物でした。
それよりもこの時期に大きかったのは、好きなアニメグッズに囲まれて仕事をする事で、漫画家を目指していた頃のクリエイティブな気持ちが、沸々と湧き上がってきた事です。
同僚に、学生時代に小説家を目指していた人がいた事で『小説家になろう』というWeb小説の投稿サイトを知り、面白半分で私もラノベを書き始めました。
これが2018年2月の事です。
元々漫画家を諦めた一番の理由は『絵を描くスピードの遅さ』と『画力の無さ』でした。
バカみたいにアイディアは出て来るものの、その表現が『絵』としては間に合わないという所が大きかったのです。
例えるなら
『アイディアはバイクのスピードで出て来るけど、絵を描くスピードが徒歩』といった感じ。
表現力が追いつかない上に、担当さんの要望に応えるスキルも無かったので、当時の私は半分ノイローゼ状態になってしまったのです。
しかし、自分のアイデアを文章で表現しようとしたこの瞬間
「文章が止まらない!」という事に初めて気付きます!!😵
「この時ですか!?」
「遅っ!!」
すみません😅
あきらさんのあきらという字は、文章の『章』ですし「もしかしたら私は文章を書く為に生まれて来たのか!?」と思うほど、文章を書く事にのめり込むのです。
「なるほどね」
パソコン自体も30歳の時からやり始め、飲食時代に発注やマニュアル作成をたくさんやってきたお陰で、ExcelやWordはそれなりに使いこなせるようになっていた私ですが、社員教育に熱心だったこの会社は、ブラインドタッチやパソコンの基礎を教えてくれたりしてくれていたので、少しだけネットにも強くなりました。
人としての基礎の部分を大事にするこの会社は、木鶏会という自己啓発セミナーに近い取り組みにも熱心で、定期的に読書感想文のようなものも書かされていましたので、今ではそれが凄く身になっています。
そして任意で参加出来るTwitterの勉強会も開かれて、そこで初めてTwitterも学ぶ事になります。
既にWeb小説にのめり込んでいた私は、Twitterでその小説を拡散したいと思って必死に学びました。
そして2018年の10月からTwitterを始めるのです。
恐る恐るTwitterの世界を覗いて見ると、私と同じように小説を書きながらツイートで宣伝している人達がたくさんいるではありませんか!!😆
そして私と似たような志を持ち、似たように苦しんでいる人達が!!
そしてもっと言うと、その苦しみを乗り越えてきた先輩達がSNSでアドバイスを発信している!!
リアルで普通に仕事をしながら、小説を書き続けるというスタイルに限界を感じていた私は、この境遇に感謝しながらも、仕事をしている拘束時間と人間関係のストレスに不満を感じ、お金よりも時間が欲しいと思うようになります。
役職が付いて無いのに責任者並みの仕事をし、メンタル的なストレスや残業時間が長くなる事に将来の不安を感じ、拘束時間の短い職種に転職する事を決めるのです。
そしてまた、2018年12月に退職しました。
2019年1月からは同じ製造業で一度再就職しましたが、あまりにも契約内容と違う対応だった為にその会社は3ヶ月で辞め、2019年の4月からは介護施設で調理の仕事をしながら、ネットビジネスを両立してやっています。
ちなみに毎朝4時前に起きて、楽しく朝活していますよ😉👍
「4時前~!?」
「柳町君が、毎日エロ動画観ている時間帯じゃない」
「もう少し早いです!!4時なんてもう寝てますよ!!って、何を言わすんですか!!」
小説の方は第1章が完結したので今は少しお休みをしていますが、ネットビジネスで生計を立てられるようになったら、執筆に集中したいと思っています😄
あきらさんの42年間のまとめ
・埼玉県さいたま市で生まれ育ち、28歳まで実家暮らし
(正確には生まれた病院だけは杉並区)
・父親が母方の両親の面倒を見るという複雑な家庭環境で育ちながらも、幼少期は活発な少年だった(ような気がします😅)
※公文(くもん)、習字を小学校1年生から6年間習い、公文では2学年上の算数を学び、習字は初段をもらいました。今思えばクラスメイト全員の男子と遊んでいたような、活発な記憶もあります。
・中学2年の時にいろいろと複雑な状況が重なり、7年間引きこもってしまう
・しかし『良い友人』と『本』と『笑い』に助けられて、20歳の時にギャグ漫画家を目指す事で引きこもりから脱出
・21歳の時に1年間のバイトで学費を100万円稼ぎ、22~24歳まで代アニに通って漫画を描く勉強をする
・卒業後、24歳の時に週刊少年マガジンで『第43回ギャグ漫画新人賞』の奨励賞を受賞する
・バイトをしながらプロを目指すが28歳でギャグ漫画家の夢は挫折してしまい、指輪やネックレスなどを作る貴金属加工の仕事に就職する
・就職前のバイト先で知り合った嫁様と、30歳の時に結婚
(結婚指輪は自分で作りました😊)
・入籍とほぼ同時に猫娘のひなたを拾う
(2019年9月に11歳で死去😭)
・31歳で飲食業に転職し、1日平均15時間以上の過酷な労働や店長業務を経験。この時期に自己啓発本やビジネス書を100冊くらい読んだりして、人間的にもかなりレベルアップしました
・40歳の時に、労働時間を減らす為にアニメグッズ関連の製造業に転職。この時期にWeb小説やTwitterに出会い、アニメに携わる仕事をする内に漫画家を目指していた頃の気持ちが再び沸き上がって、人生の目標を『アニメ化ラノベ作家』に決める
そして稼ぐ為に、ネットビジネスにも取り組み始める(現在42歳)
私の人生を振り返ると『7年間の引きこもり』が良い意味でも悪い意味でも、大きな意味を持っています。
飲食店時代のハードな生活や、製造業時代に培ったノウハウを活かして、ビジネスで
『引きこもりからでも個人で稼ぐ力』を発信していき、リアルでの生きにくさを感じている人の道しるべになります。
そして自分が好きな
『自己啓発』
『笑いを文章で表現する』
という活動を行いながら、いずれは
『アニメ化されるようなラノベ作品』
を作って行きたいと思っています。
今後の生き方としては、私の全ての経験を活かして、今引きこもりで苦しんでいる人や、精神的に辛い想いをしている人達に元気を与えらえる存在になり、ビジネスや執筆活動を通じて皆さんの為になる事をどんどんお届けして行ければ良いと思っています。
結婚をさせてもらった事で自分を見つめ直すチャンスをもらい、いろいろな人と出会った事で、再度ラノベ作家として夢を追いかける事も思い出させてくれました。
皆さんが良いものに出会えるように、私の発信を通じて人生が豊かになってくれる事を願っています。
『あきらさん』って不器用ですが、こんな感じの人です😊
嫁様やひなたは勿論ですが、私は周りの皆さんに支えられてここまで来ました。
そして普通の人がしないような経験を沢山して、それを乗り越えてきました。
この経験を今後のあきらさんの活動に全て活かして行きたいと思っていますので、これからの活動にもご期待ください!!
それでは最後に、柳町君から1つっこみ。
「ウィキペディアか!!」
皆さん、いつもありがとうございます!!
◇◇◇
追記
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